山本晴美 ここで愛ましょう New

歌語りシンガソングライター 山本晴美のブログ

原爆とその後の人生

昨夜、21時過ぎには帰宅できました。

帰りも直通があればいいのだけれど、名古屋で乗り換えのパターンです。

新幹線往復、8時間移動はさすがに疲れます。

 

今日は父のディの見送りがあるのでそれなりに早起きです。

 

 

おじさんの誕生日は6月12日。

91歳手前だったのだけれど、天の国のお母さんはたしか42歳で原爆に連れて行かれたのだけれど、誰か教えて...

おじさんより若いお母さん、あっちでお互いにわかるかなぁ......

 

そういえばおじさんには戒名がない。

福祉葬はスタンダードなご葬儀のメインの場面をショートカットで執り行ったけれど、お別れの仕方は変わらない。

職員の方も丁寧に扱ってくださるよ。

 

気持ちにはなんの不足も感じない。

 

骨壷に入りきれないお骨は、広島市でちゃんと供養して、合葬墓に入るそうです、気になっていたでしょう?

 

おじさんの骨壷は広島市で決まっている合葬墓に入ります。

後に連絡をいただける事になっています。

 

「わしはこれでいいんじゃ...」とおじさんの声が聞こえます。

 

新幹線疲れもあり、常に懐古と妄想タイムのイチ日。

 

現実には、今後のプログラムの確認があったり、20日の練習も再開したけれど......ねむいなぁ。

 

歌語りでおじさんを知り、ブログでご逝去を知り、おじさんの冥福を祈ってくださる連絡をたくさんいただきました。

嬉しいです。

 

原爆とその人生、原爆孤児として生きた人生

しばらく見つめようと思います。

 

今夜は父のところのお泊まり当番です。

 

福祉葬

まるでおじさんが仕組んでくれたように、火葬までの段取りの変更や偶然が重なり、私も火葬の時間に間に合う事になりました。

 

身延を5時に出発、静岡から広島直通の新幹線が一本だけあるので飛び乗りました。

 

便利なEX予約なのに、パスワードを忘れ、緑の窓口行きって、ナンセンスなわたし。

 

広島直通って本当に楽です。

静岡からだと自由席でも空いているし、まとまった時間の移動は考え事にもむいています。

うとうとする事もなく、あっと言うまに到着。

 

 

広島駅で、これまでお世話をしてくれたmegumiさんと合流。

そして、ボランティアガイドのmasaと合流、車で火葬場まで乗せてもらいました。

 

 

大きくて立派な火葬場です。

初めての福祉葬です。

一般のような葬儀はありません。

お坊様もいません。

 

12時がお別れ。

その前におじさんと対面できました。

 

 

おじさんは病院では苦しむ事もなく、静かに最後を迎えたようです。

生ききっての最後だったようです。

福祉葬の場合、喪主はお世話になった病院の院長先生になります。

昨日は病院を出て、葬儀屋さんの霊安室にお泊まりでした。

 

 

棺にねむるおじさんはちゃんと、私の知っているおじさんのお顔でした。

megimiさんがおじさんの好きな、おはぎとチョコレート、そして立派なお花を用意してくださいました。

私は出会った頃のおじさんと雀がたわむれている写真をおさめました。

 

おじさんの赤い自転車。

帽子に缶バッジ、すずめやカラスや鳩も一緒です。

おじさんに出会ってから11年の時間がたっていました。

 

 

火葬炉のスイッチが押される瞬間、これまでの感謝の気持ちを伝え、ご冥福を祈りました。

東京にいる広島すずめのドキュメンタリーを作ってくれたNHKのアナウンサーの八田さんも同じ時刻でお祈りしてくださいました。

 

 

お経もなく、3人の他人と東京からのお祈りに送られる、周りの人とは違うけれど、それはそれであたたかなお別れでした。

ちなみに受け取る人がいないので香典もありません。

 

お骨上げまでの時間、おじさんを偲ぶ会です。

megumiさんが広島の朝市で、お寿司を用意してくれました。

駅で「じんぼ」の名物コロッケと私の一番のお気に入りのカキフライを買いました。

 

食レポ混じりの、私たちらしい偲ぶ会です。

懐かしい話も逸話もたくさんありました。

 

あっと言うまにアナウンスがはいりました。

お骨上げです。

 

ちょっとびっくり。

おじさんの骨壷はコーヒーのマグカップより小さなものでした。

めぐみさんとmasaと私...

私は腰の骨と喉仏を小さな壺にそっと納めました。

約束が果たせてよかった、ほっとしました。

 

骨壷はパカっと蓋をされ、紙袋に納まりどこかへいきました。

これで、滞りなく福祉葬は終わりです。

 

 

おじさんの人生の最後に寄り添えてよかったです。

歌語りができた時、「もうひとりじゃないからね」...と伝えました。

「その時が来てもちゃんと送るから」...と。

生前の約束です。

 

ドームに寄り、ボランティアの方におじさんの報告をしました。

 

過去イチ、賑やかなドームまわりです。

インド系の方がすごく多いです。

 

ガイドの方がいうには、一番熱心に勉強されるのは、アメリカ人だそうです。

体内被曝のmito先生も80歳を過ぎました。

私が過ごした10年はちゃんとここにありますが、今日は何か以前と違う感じがありました。

 

おじさんと出会った時から、会う時はいつもこのベンチでした。

この角度からみるドームがおじさんのお気に入りでした。

もう、おじさんはいない...。

おじさんはコロナがはじまった少し前から体調をくずし、平和公園にこられなくなりました。

そしたら、不思議な事に公園からすずめがいなくなりました。

今日も探したけれど、いません。

時折、からすと鳩が目の前を通り過ぎていきました。

 

鳥たちは不思議な事におじさんのアパートにわんさかと移動していました。

 

おじさんは平和公園では有名な雀のおじさんでしたが、11年前、おじさんの過去を知る人は誰もいませんでした。

私に過去を話してくれた理由。

 

おじさんが原爆でご家族を亡くしたのは10歳の時でした。

私はおじさんの記憶にあるお母さんにそっくりなんだって。

 

 

ドームを後にする前に寄るところがあります。

ドームの横にあるお墓には8月6日に原爆死したおじさんのお姉さんと2歳の姪子さんがねむっています。

いつもお墓参りしてきました。

今日もおじさんと過ごした時間を思い出しながら、報告のお墓参りに来たら、入り口にばーーんとこれが貼ってありました。

 

おじさんたら...

 

 

おじさんを偲ぶ歌語りを広島で企画します。

みんな、きてね。

歌語り「広島 すずめ」はこれで完成します。

 

さて、身延に帰ります。

広島は日帰りが普通になってしまいそうです。

 

すずめのおじさん

父が退院した事、私の日々の変化、センセーショナルな毎日です。

 

昨日、すずめのおじさんがご逝去されました。

原爆孤児の孝夫さん

福祉葬になります。

約束だから、広島に骨上げに行きます。

 

おじさん、天の国でちゃんとお母さんに会えるかな...

1945年8月6日 10歳だったおじさんは、原爆で家族を亡くしました。

きっと、「たかお、今まで、よくひとりでがんばったね」ってほめられると思います。

 

棺におさめる写真を用意しました。

明日、4月12日12時に荼毘にふされます。

 

「広島すずめ〜あの日からずっとひとりじゃけぇ〜」と共に、おじさんを応援してくださったみなさま、ありがとうございました。

 

行ってきます。

我が家の介護スタイル

モッコウバラが咲き出しました。

たくさんつぼみをつけていて、毎日の楽しみがはじまります。

同時に父が退院するので、本気の介護がはじまります。

 

父からの最後の教え、命の閉じ方がはじまります。

そう言うと明日にでもお別れのようなイメージだけれど、違います。

 

今回の入院は心不全、骨折とは違いステージは変わりました。

今の父と社会的な福祉の構造をよく観察しています。

 

 

明日は退院の日。

父がより快適に、そして私たちの介護が負担に感じないような工夫をします。

 

介護が誰かの犠牲の上に成り立つという考え方より、介護に関わった人はこれからの自分の人生の質が変わる...という考えです。

メメントモリ、必ず誰にでもその時はくるのだから、人生の予習があれば復習もできるのです。

 

親が最後に教えてくれる人生のあり方だと考えています。

 

社会福祉は進んでいます。

今日は福祉用具の見直しです。

ベッド脇の手すりと外用の歩行器を返却しました。

変わりにポータブルトイレの導入と、頑丈な手すりを3個レンタルしました。

受けるサービスはこれまで通り、ディが週に2回と、私の都合に合わせてショートスティをお願いします。

訪問看護さんもこれからは週に1回入ってもらいます。

これらを組み合わせて、レイアウトを考えて、父の退院後の生活がはじまります。

そして、ひと部屋はさんだ部屋に泊まり用のベッドルームを作りました。

母が使っていたものです。

これからは夜のサポートも必要です。

 

同居しているわけではないので、お互い負担にならないような環境作りをケアマネさんに相談しながら要介護数に合わせてセットしました。

 

ここまで整うと、メンタルさえ持っていかれなければ私も妹もhiromiちゃんも自分の生活に組み込めます。



母が亡くなった10年前に実家は断捨離をしてあるので、本当に楽です。

 

理想を理想で終わらせない生き方を実践したいと思います。

 

これは音楽の仕事も同じです。

歌語り人生も、介護に遠慮せず、理想通りに歩きます。

 

 

そして自分メンテナンス...

月曜日に行ったyuutaくんの施術、やっぱりすごいです。

体が平均に立っている感じます。

なんか、↑ 日本語が変だ...

 

for someoneが行くよ!

for someoneのトークライブが20日にあります。

主催は福祉施設しもべ荘さんで、利用者さん対象と、職員および地域の皆さん対象の2ステージです。近くにある医療従事者のみなさんも参加してくださいます。

どなたでも参加できるという事です。

 

今回のsomeoneは西村香李さんにゲストをお願いして演奏します。

ハイ、天才かおりんです。

今夜は甲府で演奏の仕事が終わり、アトリエに来てくださいました。

実演しながらのプログラム会議です。

前回nayuちゃんと演奏をして好評だったコンサートです。

 

 

音楽を作ってゆく行程はとても楽しいです。

遠慮なく、意見を交わし、よりカッコよく、意図に添うプログラムに。

若い方と一緒にステージに立たせてもらうメリットは大きいです。

テクニック、スピード感、私が忘てしまったものも引き出してくれます。

 

今回、ものすっごい、課題をいただきました。

ええ、びっくりです。

kaorinでなければ思いつかない課題です。

歌語りでも言っているけれど、人が変わるきっかけになる出会いは素直に謙虚に受け止めると吉とでます。

チャレンジします。

 

そして、私も遠慮なく提案していきます。

この段階がすでに楽しい。

いいプログラムになりました。

2ステージだから練習曲は盛りだくさんです。

 

時間が音楽で埋もれてゆくのは私の理想的な生き方。

明後日退院する父との生活の両立ではありますが、どちらも大事。

 

よいバランスで生活できるように、体と頭を整えます。

さらなる断捨離をして、yutaくんの究極の整体を予約しました。

 

ブログを綴る気持ちの余裕もでてきました。

エネルギーがチャージされるってこんな感じですよね、忘ていました。

 

同時進行で春夏の歌語りの段取りをしています。

『忘っつぃんのぉ』をどこかで自主企画したいなぁ...と思える元気も出てきました。

 

写真が残してくれた伊江島での声

昨日、今日の疲れではない。

じわじわとかったるくて、頭の中が整理できなくて、次の準備がテキパキといかないのにイライラする。

 

makotoさんがオペレーター席から撮った写真です。

私がこの扉の一枚の写真の中に託した想いを思い出してみた。

背景は、ひとりで行った時のニヤティヤ洞からみた海。

携帯で撮ったのだけれど採用。

makotoさんが撮ったならもっとじょうずなのだけれど、写真に写っているのは、私の目が何をみていたか?何を考えていたのか?だから採用です。

 

この日は制作が続くにつれて、押し寄せる孤独感より、わくわくの方が増していた時期。

知らない事を知ってゆく安堵感、この海が米軍の戦艦で真っ黒になった事を想像する。

米軍がこのがまで語っている写真も存在する。

きっと平和な頃は当時の村人もここから海をみたんだろうな。

アダンにおおわれた壁面。

映像の扉に残した言葉もしぼりだした、私からのメッセージ。

 

伊江島はにくすホールの名前が書かれている事も、この日の感激を残す。

 

写真をみながら振り返るととんでもなくいろいろな次元にたどりついてしまう。

 

伊江島の星空。

「星の音」という挿入歌があります。

気に入っています。

あっという間にできた言葉と曲。

この写真一枚で私はいつでも伊江島の空をあおぐことができる。

 

一枚一枚に解説をつけたら、今日が終わってしまうので、書きません。

 

年内、『忘っつぃんのぉ』は何ヶ所か決まっていますので、どこかに参加してください。

メメントモリ

日常がスタート。

猫たちの甘えっぷりと監視の目がかわいい。

留守番ありがとう。

お世話をしてくれたみなさん、ありがとう。

 

今日は、父の退院に先だっってのカンファレンス。

ケアマネはじめ、ディのしもべ荘さん、訪問看護師さん、計5名と担当看護師、担当医、総出です。

 

福祉のちからを十分に借りての自宅介護ですが、きめ細やかな配慮や、マニュアル通りではない心ある会話にどれだけ助けられていることだろう。

慢性心不全の状態で日常にもどる父、90歳。

入院してまだひと月たっていないけれど、ガリガリにやせた。

せっかく11ヶ月かけて5kg増やしたのに、、また、誰がみてもガリガリ。

ねむったまま起きない時もあり、ひやひや。

でも、まだベッドから立ち上がるがんばりはある。

トイレも自力でがんばっている。

あの体のどこに、そんなちからが残っているのだろう。

 

早く、本人がのぞむように帰宅させたいけれど、環境準備が必要です。

その場で介護用品さんに手配と今後の計画の作戦会議。

丁寧にむきあってくださり、感謝しかありません。

 

父もゆっくりゆっくりその時を迎える準備をはじめている。

家族が受け入れる時間もちゃんと考えてくれているように感じます。

メメントモリという言葉は私自身にいつもある。

父への恩返しは、私自身を生き切ること。

 

だから、わたしも日常を生きる。

これから再開する父との生活は本当に尊い。

 

留守中の郵便物を整理し、返信を書き、あたらしい譜面を整え、今週のスケジュールを確認する。

 

空っぽの冷蔵庫も補充。

自分の健康維持も考える。

 

今月はしもべ荘でsomeoneコンサート。

鹿屋で重鎮と会う。

そのまま広島へむかい、すずめのおじさんのお見舞い。

nayu&kaorinのサポートで大分行きのサンフラワーにものる。

 

やっぱ、何が大事って健康である事だよね。

体が健康であれば、メンタルもポジティブでいられる。

 

父が退院する8日までに、半年分の段取りをするつもりです。

さて、バンバンとちらし原稿作ります。