まるでおじさんが仕組んでくれたように、火葬までの段取りの変更や偶然が重なり、私も火葬の時間に間に合う事になりました。
身延を5時に出発、静岡から広島直通の新幹線が一本だけあるので飛び乗りました。
便利なEX予約なのに、パスワードを忘れ、緑の窓口行きって、ナンセンスなわたし。

広島直通って本当に楽です。
静岡からだと自由席でも空いているし、まとまった時間の移動は考え事にもむいています。
うとうとする事もなく、あっと言うまに到着。

広島駅で、これまでお世話をしてくれたmegumiさんと合流。
そして、ボランティアガイドのmasaと合流、車で火葬場まで乗せてもらいました。

大きくて立派な火葬場です。
初めての福祉葬です。
一般のような葬儀はありません。
お坊様もいません。
12時がお別れ。
その前におじさんと対面できました。
おじさんは病院では苦しむ事もなく、静かに最後を迎えたようです。
生ききっての最後だったようです。
福祉葬の場合、喪主はお世話になった病院の院長先生になります。
昨日は病院を出て、葬儀屋さんの霊安室にお泊まりでした。

棺にねむるおじさんはちゃんと、私の知っているおじさんのお顔でした。
megimiさんがおじさんの好きな、おはぎとチョコレート、そして立派なお花を用意してくださいました。
私は出会った頃のおじさんと雀がたわむれている写真をおさめました。

おじさんの赤い自転車。
帽子に缶バッジ、すずめやカラスや鳩も一緒です。
おじさんに出会ってから11年の時間がたっていました。

火葬炉のスイッチが押される瞬間、これまでの感謝の気持ちを伝え、ご冥福を祈りました。
東京にいる広島すずめのドキュメンタリーを作ってくれたNHKのアナウンサーの八田さんも同じ時刻でお祈りしてくださいました。

お経もなく、3人の他人と東京からのお祈りに送られる、周りの人とは違うけれど、それはそれであたたかなお別れでした。
ちなみに受け取る人がいないので香典もありません。
お骨上げまでの時間、おじさんを偲ぶ会です。
megumiさんが広島の朝市で、お寿司を用意してくれました。
駅で「じんぼ」の名物コロッケと私の一番のお気に入りのカキフライを買いました。
食レポ混じりの、私たちらしい偲ぶ会です。
懐かしい話も逸話もたくさんありました。

あっと言うまにアナウンスがはいりました。
お骨上げです。
ちょっとびっくり。
おじさんの骨壷はコーヒーのマグカップより小さなものでした。
めぐみさんとmasaと私...
私は腰の骨と喉仏を小さな壺にそっと納めました。
約束が果たせてよかった、ほっとしました。
骨壷はパカっと蓋をされ、紙袋に納まりどこかへいきました。
これで、滞りなく福祉葬は終わりです。

おじさんの人生の最後に寄り添えてよかったです。
歌語りができた時、「もうひとりじゃないからね」...と伝えました。
「その時が来てもちゃんと送るから」...と。
生前の約束です。
ドームに寄り、ボランティアの方におじさんの報告をしました。
過去イチ、賑やかなドームまわりです。
インド系の方がすごく多いです。

ガイドの方がいうには、一番熱心に勉強されるのは、アメリカ人だそうです。

体内被曝のmito先生も80歳を過ぎました。
私が過ごした10年はちゃんとここにありますが、今日は何か以前と違う感じがありました。
おじさんと出会った時から、会う時はいつもこのベンチでした。
この角度からみるドームがおじさんのお気に入りでした。
もう、おじさんはいない...。

おじさんはコロナがはじまった少し前から体調をくずし、平和公園にこられなくなりました。
そしたら、不思議な事に公園からすずめがいなくなりました。
今日も探したけれど、いません。
時折、からすと鳩が目の前を通り過ぎていきました。
鳥たちは不思議な事におじさんのアパートにわんさかと移動していました。

おじさんは平和公園では有名な雀のおじさんでしたが、11年前、おじさんの過去を知る人は誰もいませんでした。
私に過去を話してくれた理由。
おじさんが原爆でご家族を亡くしたのは10歳の時でした。
私はおじさんの記憶にあるお母さんにそっくりなんだって。
ドームを後にする前に寄るところがあります。
ドームの横にあるお墓には8月6日に原爆死したおじさんのお姉さんと2歳の姪子さんがねむっています。
いつもお墓参りしてきました。
今日もおじさんと過ごした時間を思い出しながら、報告のお墓参りに来たら、入り口にばーーんとこれが貼ってありました。
おじさんたら...

おじさんを偲ぶ歌語りを広島で企画します。
みんな、きてね。
歌語り「広島 すずめ」はこれで完成します。
さて、身延に帰ります。
広島は日帰りが普通になってしまいそうです。